くらやみ祭り - 2012.05.06 Sun
Lucky - 2012.04.23 Mon
幸運の話。
先週の日曜に八王子に買い物に行った。和菓子屋さんでかりんとうを購入した。おばちゃんが団子を2本オマケしてくれた。
その帰り、立ち寄ったコンビニで晩飯に弁当を購入。レジのおばちゃんが食パンを一斤オマケしてくれた。
二度もオマケに遭遇するとは何と言う幸運!!ホクホクした気分で翌日出勤。取引先の売店のおばちゃんがでっかい肉まんを二つもくれた。今までそんなことしてくれたこと無かったのに。
コイツはいよいよ"LOST"のハーリー級の幸運が来てるんじゃね?宝くじ買うなら今しか無くね??
と思ったんだけど、遅疑逡巡は僕のクセ。考えてみた。
団子は一本は食べたけど、もう一本は帰り道で道路に落としちゃった。
食パンは問題なく食べれたけど、肝心の弁当は御飯がカッチカチのパッサパサで食べられたモンじゃなかった。
そして、肉まん。貰ったはいいけど、実は昼飯の弁当を買ったすぐ直後で、頑張って一個は食べたけど満腹MAX超えでその後の業務に支障が…。
そう、それぞれ幸運と同時に不運にも見舞われていたんですよ。3歩歩いて2歩下がってたわけよ。
宝くじがもし万が一当たったとしても(正直、当たるとは全然思ってないけどさ)、それに見合う大きな不運にも見舞われるということですよ。
まぁ、何にしろ、それっきり幸運は来なくなっちゃったけどね。チャンスを逃したか(チッ!)
先週の日曜に八王子に買い物に行った。和菓子屋さんでかりんとうを購入した。おばちゃんが団子を2本オマケしてくれた。
その帰り、立ち寄ったコンビニで晩飯に弁当を購入。レジのおばちゃんが食パンを一斤オマケしてくれた。
二度もオマケに遭遇するとは何と言う幸運!!ホクホクした気分で翌日出勤。取引先の売店のおばちゃんがでっかい肉まんを二つもくれた。今までそんなことしてくれたこと無かったのに。
コイツはいよいよ"LOST"のハーリー級の幸運が来てるんじゃね?宝くじ買うなら今しか無くね??
と思ったんだけど、遅疑逡巡は僕のクセ。考えてみた。
団子は一本は食べたけど、もう一本は帰り道で道路に落としちゃった。
食パンは問題なく食べれたけど、肝心の弁当は御飯がカッチカチのパッサパサで食べられたモンじゃなかった。
そして、肉まん。貰ったはいいけど、実は昼飯の弁当を買ったすぐ直後で、頑張って一個は食べたけど満腹MAX超えでその後の業務に支障が…。
そう、それぞれ幸運と同時に不運にも見舞われていたんですよ。3歩歩いて2歩下がってたわけよ。
宝くじがもし万が一当たったとしても(正直、当たるとは全然思ってないけどさ)、それに見合う大きな不運にも見舞われるということですよ。
まぁ、何にしろ、それっきり幸運は来なくなっちゃったけどね。チャンスを逃したか(チッ!)
ライブ終って - 2012.04.15 Sun
今思うこと - 2012.03.11 Sun
あれから一年。大地震、巨大津波、帰宅難民、原発事故、計画停電に食料買占め、誰も経験したことの無いことが次から次へと起こった。色んなことを思い出します。長かったような短かったような。
この一年が何かの節目になったというわけでは全くない。津波がさらって行った無数の命は未だに正確な数字すらわかっていないし、政府の言葉とは裏腹に原発事故は何も収束していない。
無数の命。そう、僕たちは夢に出てくるほど沢山の津波の映像をまぶたに焼き付けたし、日に日に膨れ上がる犠牲者の人数に戦慄した。それでも、車や電車でほんの数時間でたどり着くその場所で一体どんなことが起こったのか、なかなか実感することができない。
現地へ行って瓦礫を歩いたり、ボランティア活動をしたりしてそれを実感しようとした人も沢山いたと思う。(僕も出来ることなら早い時点で行きたかったけど、どうにも時間が作れなかった)
人間は死を三つに分類して認識するそうな。三つというのは、一人称、二人称、三人称の三つ。一人称は私の死。二人称はあなたの死。そして三人称は彼や彼女やどこかの誰かの死。
人は、自分とは直接は関わらない第三人称態の死を実感することが出来ない。毎日の新聞の片隅に出ているどこかの誰かの訃報も、アフリカのどこかの国で数日間で消えた100万人の命も、同じ統計上の数値でしかない。東北の大津波の犠牲者にしても、それは同じことだ。
ただ今回の悲劇で違う点を挙げるとすれば、それは、実感が無いという非現実感なんじゃないか。3.11以来この国を包み込んでいるフワフワした非現実感。感じるのは僕だけだろうか。
このフワフワした非現実の中からハッキリしたものを掴みたくて、被災地や犠牲者達に思考を向けざるをえない。考えるだけじゃ何にもならないってわかっちゃいるけどさ。
明日も仕事だ。おやすみ。
この一年が何かの節目になったというわけでは全くない。津波がさらって行った無数の命は未だに正確な数字すらわかっていないし、政府の言葉とは裏腹に原発事故は何も収束していない。
無数の命。そう、僕たちは夢に出てくるほど沢山の津波の映像をまぶたに焼き付けたし、日に日に膨れ上がる犠牲者の人数に戦慄した。それでも、車や電車でほんの数時間でたどり着くその場所で一体どんなことが起こったのか、なかなか実感することができない。
現地へ行って瓦礫を歩いたり、ボランティア活動をしたりしてそれを実感しようとした人も沢山いたと思う。(僕も出来ることなら早い時点で行きたかったけど、どうにも時間が作れなかった)
人間は死を三つに分類して認識するそうな。三つというのは、一人称、二人称、三人称の三つ。一人称は私の死。二人称はあなたの死。そして三人称は彼や彼女やどこかの誰かの死。
人は、自分とは直接は関わらない第三人称態の死を実感することが出来ない。毎日の新聞の片隅に出ているどこかの誰かの訃報も、アフリカのどこかの国で数日間で消えた100万人の命も、同じ統計上の数値でしかない。東北の大津波の犠牲者にしても、それは同じことだ。
ただ今回の悲劇で違う点を挙げるとすれば、それは、実感が無いという非現実感なんじゃないか。3.11以来この国を包み込んでいるフワフワした非現実感。感じるのは僕だけだろうか。
このフワフワした非現実の中からハッキリしたものを掴みたくて、被災地や犠牲者達に思考を向けざるをえない。考えるだけじゃ何にもならないってわかっちゃいるけどさ。
明日も仕事だ。おやすみ。















